「起き上がりなさい」  08.01.06
                ヨハネ5:1〜18

 自分のことをいつも心にとめ、理解してくれる人がいると
いうのは、とても幸いなことです。どんなに孤独を感じる時で
あっても、そのような家族や友人がいるならば、励まされ、
慰めれられ、力づけられることがあるでしょう。
 神さまは、人がひとりでいるのは良くないとおっしゃり、
アダムを助ける者としてエバを与えてくださいました。
 神さまは、人にそのような存在が必要であることを良く
ご存知です。
 私たち一人ひとりにそのような存在を用意してくださいます。
 反対に、私たちも、助ける者として、誰かの所へ神さまから
送り出されているに違いありません。
 聖書は、神さまが人を用意してくださるだけでなく、神さまと
等しいイエスさまがそのような存在として私たちに与えられて
いることを告げます。
 エルサレムの祭り時、華やかさと離れた池のほとりに多くの
病人が集っていました。その池の水が動くのは天使がやって
きたしるしであり、その際一番に池に入った人の病気が癒されると
言われていました。そこに38年間病気の人がいました。
 イエスさまは、その人を見、病気を知り、「良くなりたいのか」と
語りかけてくださいました。その男は、自分は良くならないと思って、
希望を失い諦めていたのでしょう。「池に連れて行ってくれる人は
いないし、他の人が先に入ります」と応えました。38年間ずっと
病気のままという自分の辛い現実に、身も心も縛り付けられ
ています。
 しかし、そのような者の側に歩み寄り、呼びかけるのがイエスさま
でした。イエスさまは、私たちに対してもそのように迫ってくださる方です。
 イエスさまは、床を担いで起き上がるようにおっしゃいます。
 床は、自分が縛り付けられている現実でした。イエスさまが共に
おられるときに、それを担ぐことが可能となります。自分の床は
何でしょうか。
 イエスさまが傍らにいてくださるのです。
 私たちも、自分が縛り付けられているように感じる厳しい現実を、
担いで歩き出すことができるでしょう。